いのちのうた
昨年に続き今年もNHKで加藤シゲアキメインMCによる「いのちのうた」が放送された。
ただ、今年は「いのちのうたフェス」に名前を変えて。
今回は「いのちの歌」について書く。今の想いをしたためるために。
私は手越祐也がこの曲を歌うと知ったときなんとしても「いのちのうたフェス」を観ないといけないと思ったのだ。
まあ好奇心のような気持からではあるが。
中学2年生のときに校内の合唱コンでこの曲を歌ったので、私にとってもエモーショナルな歌なのだ。
余談だが私は「いのちの歌」はマナカナのものだと認識している。だがどうやら竹内まりやがカバーしているらしい。しかし朝ドラもあったのにNHKで「いのちの歌」が竹内まりやの曲として紹介されたのはいささか寂しかった。
曲前のVTRで13歳の少女が歌詞について語るとき、ピックアップした歌詞が以下のものだ
―――――――――――――――――――――――――――――
いつかは誰でも この星にさよならを
する時が来るけれど 命は継がれてゆく
生まれてきたこと 育ててもらえたこと
出会ったこと 笑ったこと
そのすべてにありがとう
この命にありがとう
―――――――――――――――――――――――――――――
VTRに登場した少女は、この歌詞に対し「いつ死ぬかわからないから一瞬一瞬を大切に生きていきたい」と語り、手越も自分の体験を語りつつ少女に共感を示した。
一方、当時14歳だった私の解釈は二人とは違うものだった。合唱コンの前、クラスの学活の時間に「歌詞の意味を考えよう」というものがあった。そのときに私はこの歌詞についての解釈をクラスの前で述べた記憶がある。
「人はいつか死ぬけど、誰かがその人の存在を覚えている限り、忘れない人がいる限り、その人の魂は死なない」
当時14歳だった私の解釈である。
まあなぜこういう解釈に至ったかといえば読んだこともないチラっと見ただけの漫画「ワンピース」の台詞の影響だ
―――――――――――――――――――――――――――――
人はいつ死ぬと思う…?
心臓を銃で撃ち抜かれた時……違う。
猛毒のキノコスープを飲んだ時……違う!!!
人に忘れられた時さ…!!!
―――――――――――――――――――――――――――――
このセリフがいたく心に残っていてそういう解釈をしたんだろう。
ここで2パターンの解釈を出してみたが決してどちらが優れているとかいう争いをしたいわけではない。どんな解釈でもいいのだ。
手越は瞬間瞬間に対する一生懸命な生き様が伝わってくるし、いつか亡くなってもきっと誰かの心の中には手越が生きていて、手越のことを忘れない人は多いと思う。
そして、私が注目したのはなにより歌だ。
私の中にすっかり定着したマナカナのイメージを消せるか。
そんな心配は不要だった。手越は、あの場所で歌った「いのちの歌」を確実に手越祐也のものにしていた。
優しく、そして力強かった。
素晴らしい番組を見せていただいた、是非来年も、その先も続いてほしいものだ。
そして、時代の要請によって変わることもあるかもしれないけど、MCも加藤シゲアキで永く続くことを願う。
またまた余談だが、来年はまたNEWS4人で歌ってほしい。完全に私欲だけど、去年のように別撮りではなく、直接、広島の地で。また、NEWSには紅白に出てほしいと強く思った。